銀座 吉澤の創業者である先代社長 吉澤一一は、創業より三重県松阪を中心とする地域で肥育された牛を東京の芝浦にある東京食肉市場へ汽車で運んで、商いをしておりました。
その当時は
「伊勢牛」と呼ばれており、「伊勢牛」はその後1935年(昭和10年)に東京食肉市場で開催された「全国肉用牛畜産博覧会」で最高の名誉を獲得します。
その「伊勢牛」の中でも、特に優れた肉牛として
「松阪牛」の名が全国に広がっていったのは、戦後からで、当時「松阪牛」の名を商標(ブランド)として広げるために、東京の食肉業者と松阪地域の出荷業者が中心となって、昭和33年に設立されたのが「松阪肉牛協会」でした。
「松阪肉牛協会」が設立した当時、吉澤は先代の名前である「一一(かずいち)」からとって指定店番号を11号とし、協会の副会長を務めました。
(会長は代々、時の松阪市長が務めています。)

松阪地域の肥育農家・出荷業者そして東京の食肉業者が「優れた牛を」と力を合わせ、育てていった
「松阪牛」はその後、和牛ブランドとしての名声がさらに高まり、日本一の和牛として知れ渡っております。

日本一の松阪牛の中でも、ナンバーワンを決める大会に「松阪肉共進会」「松阪肉牛枝肉共進会」とがあります。

「松阪肉共進会」は松阪市内・大津町にある三重県経済連松阪家畜市場で行われる大会で、毎年50頭の牛が出品され、顔立ち・肉付き・毛並み・角の形など牛の外見を競う大会で、昭和24年に第1回が開かれ、平成元年に行われた第40回大会では、史上最高となる4,952万円という値をつけました。

「松阪肉牛枝肉共進会」は毎年、東京食肉市場で行われる枝肉の大会で、肉質つまり中身を競う大会です。

現社長は昭和52年に開かれたこの「松阪肉牛枝肉共進会」で枝肉としては史上最高値の
キロ当たり30,100円というチャンピオン牛をセリ落としました。
当時、色々な新聞などに取り上げられましたが、ある新聞ではその時の状況を「セリ場にいた誰もが息をのみ、生産者は足が震えていた。」と書いております。

このような歩みの中で、納得のいく、こだわりの牛肉をお客様へ伝え続け、これからもより良いこだわりの牛肉をお客様へお伝え出来るよう 
銀座 吉澤 は精進してまいります。


■銀座 吉澤本社
■松阪肉 枝肉 ■旧吉澤店舗

■これまで松阪肉枝肉共進会で最優秀賞をはじめ、数々の賞を受賞してきました